リレー小説第16話

書いた人

  • 第九話・H.M.B.(当方)
  • 第十話・シェキル氏
  • 第十一話・義契氏
  • 第十二話・Mon氏
  • 第十三話・cgmi氏
  • 第十四話・あきよし氏
  • 第十五話・シェキル氏
  • 第十六話・H.M.B.(当方)
  • 十六話


    「ふぃー、あっつぃー。一駅限り、つかの間の天国だったな」

     西中野原駅のホームに降り立った晃樹の全身を、再び真夏の熱気が包む。


    「ほーんと、中は天国、外は地獄よねぇ。晃樹も暑いの苦手なのー?」
    「ああ、オレ夏嫌いなんだよね。寒いのは割と大丈夫だけど」
    「あたしもー。あ、でもねでもね、あたしは冬も嫌い」
    「夏も冬も嫌いって、じゃ春と秋が好きなわけ?」
    「うーん、まあそうだけど……。正確に言うと、摂氏十八度から二十二度くらいが好きかな?」
    「アホかっ。それは季節じゃなくて気温だろーが。それに何だよ、その範囲の狭さは」
    「いいのっ。あたしは晃樹とかの一般人と違ってデリケートなんだから」
    「は? どこがデリケいっ!?」

     言いかけた晃樹の左脛を、鈍い痛みが走る。どうやら比奈乃の右足のかかとが犯人のようだ。

    「今、なんて言おうとしたの? ……ぶつわよ?」

     あくまで笑顔は崩さないまま、比奈乃はさらりとそう言ってのける。

    「ってー……、お、お前っ、言う前にもうぶって……、って言うか蹴ったし!」
    「あら、ごめんねぇ、こんな格好じゃなかったらお望み通りハイキックできるんだけど」
    「誰が望むか! ってーかこっちはまだ右足ガチガチなんだからな、冗談でも足は勘弁してくれよ……」
    「えー? 大丈夫っ。もし倒れそうになったらあたしが助けた子猫みたいに、晃樹も助けてあげるから」
    「え……」
     思わず情景を想像してしまう晃樹。
    「あー、赤くなってるー、かーわいっ。あははっ」
    「お、おい、からかうなよっ」
    「ほらほらっ、階段、気を付けてよねー」
     相変わらず比奈乃に翻弄される晃樹だった。



     ――それにしても。

    「あの男……、いやまさか、ね」

     階段を前にして、先ほど電車の中で見た謎の男の姿が晃樹の脳裏をよぎる。辺りを軽く見回すが、先ほどの比奈乃とのやりとりの間に皆去ってしまったのだろう、ホームにはもうほとんど人の姿が見られなかった。



    「フッ、勘付かれたと思ったが、まだまだ甘いな……」

     その光景を、反対側のホームの端からレンズ越しに見ている者がいた。柱の陰にしゃがみ込み、時折顔を覗かせながら手にした小振りのカメラでしきりにシャッターを切る。身に纏った黒いコートは、端から見るだけでも暑苦しい。

     彼は、電車が駅に着くと同時に車両を飛び出し、全速力で階段を駆け上って反対のホームへと向かったのだった。その額に、頬に、背中にと絶えることなく汗が伝うが、気にもしない。

     ひとしきり撮り終えると、彼は柱に手をやり、遠く、青い空を見やる。その目にはしかし、青い空でも白い雲でもなく、セピア色の回想シーンが映っているのだった。



    (思えば、長かった……、あの子が生まれて十七年あまり……。小さい頃から口下手で、ろくに女友達も作れない内気な子だった……。このままでは一生結婚もできないのではないかと私は心配で心配で……。しかし、しかしだ! どうも最近様子がおかしい。これはひょっとしてと思い、尾行てみれば…………)



     彼の頬を滝のように流れていた汗は今や、嬉し泣きによる涙へと替わっていた。



    (ハハハ、良くやった、晃樹よ! 遂に我が息子にも春が……、春が来たのだ! 暗黒時代を良くぞ耐え抜いた! お前の人生は、今、ルネッサンスだ! 輝ける黄金期に突入したのだよ! こんな目出度いことが他にあろうか? 否!! 無い! そして、そんな息子の記念すべき時を記録せずして、何が写真家か、何が父か! ……待ってろ母さん、そして晃樹、今こそ我が写真家人生、最高の作品を撮ってみせる!)



     拳を握り、今日三回目の「決意」をした彼は、おもむろにポケットからシワシワのハンカチを取り出し、ぢーん、と鼻をかむのであった。

     彼の名は石本陽介。いわゆる写真家であり、そして晃樹の父である。

    「さて、そろそろ追うか」

     ひとしきり流した汗と涙をシワシワのハンカチ(鼻水付き)で拭き取ると、そう呟く。そして、柱の陰から立ち上がったとき――。

    「主任!」

    「ほぁっ!?」

     今まで人の気配のなかった所で不意に呼び止められ、陽介は驚きのあまり声を上げた。振り向けば、おそらくこの付近の学校の物であろう制服を着た少女がこちらを見つめている。

    「あの、イシモトコウキはどこへ……、あっ」

     続けて少女はそこまで言いかけ、それから口をつぐんでしまった。それから喋る気配もない。

     何か不思議な感じがする、と陽介は思った。何か、と言っても口で説明できるものではなく、感覚がそう言っている、という感じだった。石本晃樹、と言った気がするが、晃樹の知り合いか何かだろうか。

    「石本晃樹? 晃樹がどうしたのかね?」

     そう訊ねると、それまで黙っていた少女は途端に目の色を変え陽介に歩み寄る。

    「イシモトコウキを知ってるのか!?」
    「任せたまえ、私は石本晃樹研究会会長だからな。まあ、自慢じゃないがエロ本の隠し場所まで知ってるぞ。晃樹に何か用事なのかい?」
    「用事と言うか……、あの、その……」

     何やら言い淀んでいるその様子を見た陽介は、ピンと閃く。

    (この子、ひょっとして……。いや間違いない、晃樹に「ホの字」だなっ!)

     少女はと言えば、口実を思いつかず口籠もっていただけなのだが、陽介は既に「確信」してしまっていた。



    (このままこの子を晃樹に会わせては、あの状況からして修羅場になるに違いない。しかし晃樹よ、男児たる者、争いを恐れていてはならないのだ! これしきの苦難を乗り越えられずして幸せなど訪れるものか! よいか晃樹、数多の修羅場をくぐり抜けてこそ真の男児なり! それに私としても、そんな場面に出くわすことができれば、我が写真家人生に一片の悔い無し! 父親冥利にも尽きるってヤツだ! おぉ神よ、別に信じちゃいないが、今回はとりあえず感謝しますぞ!)



    またもや拳を握りしめ、明後日の方向を見ていた陽介だったが、はっと我に返ると少女に向き直った。

    「あ、あぁいや、コホン。そうだ、その、ちょうど私も訳ありで晃樹を追っているところだ。君も付いてくるといい」
    「ほ、本当か!? 行く、私も連れて行ってくれ!」
    「うむ、早く行かんと見失ってしまうしな。えーと、君、名前は?」
    「サテラだ。早く行くぞっ」
    「へー、佐寺さんか。珍しい名前だね」
    「いいから早くっ」
    「わかったわかった――」



     時は少々遡るが、その少女、サテラは声を掛けた相手が人違いであったことに気付き、狼狽えていた。

     通信で聞いた上官の姿の特徴、「黒いコート」を目にし、何ら疑うことなく声を掛けたものの……。まさか、こんな真夏に同じような格好をした「変人」が二人もいようとは思わなかったのである。

    (それにしても、どうしよう……)

     油断していたとは言え、あろう事か一番の重要事項を口走ってしまった。……殺るか? でもライトセイバーはないし、どうやって……。そう思案しているときに、ふと男が発した言葉。

     ――任せたまえ、私は石本晃樹研究会会長だからな。

     まさに渡りに舟だった。知られてはいけないと思っていたことを、相手が自分よりよっぽど知っているのだから、これを利用しない手はない。しかも、運の良いことに必要以上にこちらを詮索するような様子もないようだった。

     ――私も連れて行ってくれ!

     気が付けばそう叫んでいた。



     こうして、全く晃樹達の与り知らぬところで、覗き見コンビが結成されたのだった――。




     一方その頃、中野原駅の改札口。

     早口で何やら捲し立てるやや年のいった駅員と、対するはヘコヘコと頭を下げ愛想笑いを浮かべる、黒いコート姿の怪しい男。

    「ちょっとアンタ、電車、乗ったことないの? 切符がいるんだよ、切符」
    「キ、キップ? いやぁすいません、この辺りはあんまり詳しくないもんで……。ヘヘヘ……」
    「あーあー、あれかい、おノボリさんかい。仕方ないねぇ……、今どき鉄道も通ってないところからわざわざご苦労さんなこった」

     彼、主任が、このあと西中野原駅にたどり着けたかどうかは、また別の話。



    十七話へ続く。